白雪姫 グリム

  • 2011.12.09 Friday
  • 00:02


今日はグリムの【白雪姫】を紹介します。童話です。子どもでなければ読めない話だと思います。


グリム兄弟は19世紀ドイツの言語学者であり民話収集家です。ドイツは現代史に於いても、市民による革命によって自由を勝ち取った経験があって、この白雪姫という物語にもそういう悪しき為政者を追放するという内容が強く含まれています。


英語の勉強をしている方は、このグリム童話の英語版がお薦めです。そんなにむつかしくないストーリーですから読みやすい英語になっていて、英語に親しむのには最適なのではないでしょうか。ぜひブックマークしてみて下さい。これなら、スマートフォンでも読めそうですね。空き時間にグリーをやるより良いかもしんない。







こちらのリンクから全文お読みいただけます。
http://akarinohon.com/basic/shirayukihime.html (約15頁 / ロード時間約30秒)

フランダースの犬 マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー

  • 2011.11.26 Saturday
  • 00:04


今日はマリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメーの《フランダースの犬》を紹介します。
これはきっと、アニメで知っている人が多いと思うのです。
興味をお持ちであれば、菊池寛が翻訳したこの児童文学を読んでみてください。
80ページほどの中編小説です。

マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメーという名前を聞いたことがないという人は多いと思いますが、これはOuida(ウィーダ)というイギリスの作家の本名です。ウィーダはイギリス人の母とフランス人の父を持ち、イタリアへの移住に憧れ、晩年はイタリアで暮らした作家です。


初期のウィーダは、『フランダースの犬』のように厳しい現実を書くわけではなく、ロマンチックで自由奔放な作風だったそうです。





http://akarinohon.com/basic/flanders.html (約80頁 / ロード時間約30秒)


星の銀貨 グリム兄弟

  • 2011.11.01 Tuesday
  • 22:38


今日はグリム兄弟の『星の銀貨』を紹介します。
これは喜捨についての物語です。




さいきん、ルターという宗教改革者の本を少しだけ読んだのですが、ルターは自国のキリスト教に関して、利権ばかりを大切にする教会のありかたに異を唱え、キリストはこのような世界を望んではいなかったはずであり、キリスト者は、もっとよりキリストの教えに近い聖書へと帰ってゆけと述べて当時の宗教界を大きく変えてゆきました。ルターは罪から逃れたいという思いの強い人びとに対して、贖宥状(しょくゆうじょう)を買い求めることはないと説き、このように述べます。




「けれどもわたしは勧告する。あなたがもし何かを寄進献納し、祈願し、断食したいと思うなら、あなた自身に善いことを求める意図をいだくことなく、ほかの人びとがこれを喜びとすることのできるように、惜しみなく施しあたえ、かれらのためになることのできるように、これを行うべきである。そうしたらあなたは真のキリスト者である」

「あなたは信仰においてすでに十分である」というルターの言葉が印象的です。




この、グリム兄弟の『星の銀貨』では、少女が献身的に人びとにつくします。
もーなんにもない、という状況のあとにこそ何かがあるという話です。
キリスト教圏の子供たちがこれを読んで育つんですよね。
この童話に親しんで育った子どもは、やはり献身的な大人になるように思います。
ほんの5頁ほどの童話です。





http://akarinohon.com/center/die_sterntaler.html (ページ数 約5枚)

ジャックと豆の木 楠山正雄

  • 2011.10.30 Sunday
  • 15:54

今日は楠山正雄の翻訳したイギリス童話『ジャックと豆の木』を紹介します。
この話を聞いたことがない人はたぶん誰も居ないと思いますが、登場人物とできごとの順序を正確に覚えている人は、もともと記憶力の良い人か、あるいは最近ぐうぜん読んだのか、またはなにか専門的に児童書や物語に関わっている人だけではないでしょうか。




記憶力の良い人は、このずいぶん昔に読んだ内容を、一つも順序を間違わずに憶えているのでしょうか? この童話を読み始める前に、ちょっと、この話のあらすじをうろ覚えで書いてみました。ジャックがこうして。ジャックがどうなって。それからこうなって。という感じのメモを。それから読みはじめてみると、まるで記憶違いで驚きました。




では、僕のうろ覚えの記憶を記してみます。
[ctrl+a]ボタンを押すと、僕のうろ覚えの記憶が読めますよ。

ジャックはお母さんのためにまいにち働いていました。ジャックのお家は貧乏ですが、病気のおかあさんのために畑を耕し、にわとりを育てていました。ある日、ジャックがたいせつに育てた豆の木がどんどんどんどん大きくなって、天まで高く育ちました。ジャックは思いました。「うーん、この豆の木をのぼってゆくといったいどこにつくんだろうか」ジャックはお母さんに見送られながら、豆の木をずんずんと登ってゆきました。いくら登っても、どこまで行っても豆の木のてっぺんはみえません。山登りでも見たことのない風景が広がります。ジャックはついに雲の上までたどりつきました。こんなに高く育つなんてすごい。ジャックは雲の上を歩きます。するととんでもなく大きな神殿がありました。ジャックはこわい番犬をさけて、雲の上の神殿に入りました。そこには財宝がたくさんありました。家族のために、ジャックはたからものを手に持って豆の木を下りてゆきました。すると、雲の上に住む巨人が怒りはじめました。「こらきさま! だれにことわってたからものを盗んだ! ゆるさんぞ!」巨人が豆の木を下りるジャックを追いかけてきます。さあたいへん。ジャックは豆の木を急いで下りて、家に帰り着き、斧を手にして豆の木を切りました。豆の木はずうんと倒れ、雲の上の世界と地上の世界の通り道はふさがりました。ジャックは家族としあわせにくらしました。



ぼくのうろ覚えの記憶は、どうにも間違いだらけのものでした。まあ、読んだのが絵本ですからこれよりももっと子ども向きのストーリーのやつを憶えていたんですが。それにしても間違いが多かったです。とくに、にわとりの卵というのを忘れていましたし、なんども宝を盗もうとするという話を失念していました。これはようするに「仏の顔も三度」までということを物語化しているんですね。

肝心なところを見逃していました。というかジャックと豆の木というお話しはちょっと危ない話しなんですね。びっくりしました。これはイギリスの童話です。窃盗を繰り返したり他国の人間を倒す、というのはどこかイギリスの暗い歴史と共鳴しているようにも思えます。僕はイギリスの哲学者を何人か調べていったことがあるんですが、その哲学と暗い歴史とがやはり共鳴していたように思えてならないんです。みなさんはイギリスというとなにを思い浮かべるでしょうか。そう言えば、ハリーポッターの作者であるJKローリングもイギリスの作家ですね。

イギリスといえば、ディケンズが有名です。ディケンズといえば最近ディズニーでも映画化された『クリスマスキャロル』が有名ですね。ほかに『オリバーツイスト』や『二都物語』等があります。




ロシアの詩人ヨシフ・ブロツキイが、イギリス作家のディケンズのことを高く評価していて、このように述べています。

「たいそうなことを言うつもりはありませんが、少なくとも、ディケンズの小説をたくさん読み耽った者にとって、いかなる理想のためであれ自分と同じ人間を撃ち殺すことは、ディケンズを読んだことのない者にとってより難しいだろう」




ヨシフ・ブロツキイは『私人』という講演録において、旧ソビエト連邦での体験を踏まえて、読み書きや教養よりももっと重要なことがあると述べています。高い教養を持った人物が、あれやこれやの政治論文を読んだ後で、自分と同じ人間を殺し、しかもその際に信念の歓喜を味わうということさえ充分にありえるのだ、と警告しています。ブロツキイはそれに対抗するために創作者たちは「文化の連続性が持つ効力を再生させ」てゆくべきであると述べています。文学についてブロツキイはこのように述べています。

「自分は他者と違う存在であることを示すこと。そして同語反復を避ける、つまり『歴史の犠牲』という栄誉ある別名で知られる運命を避けること。人間のこういった営為を助けてくれる点にこそ、文学の功績のひとつがあります」

「国家の哲学も、国家の倫理も、国家の美学も、常に『昨日』です。それに対して、言語や文学は常に『今日』であり、『明日』にもなります」

ブロツキイは、美学というものが倫理を築きあげるためにとても重要であり、個人の美的体験こそが倫理の母であると告げています。それぞれの美的体験を通して、各個の揺るぎがたい倫理を築き上げねばならない、とブロツキイは述べています。詳しくは『私人』をお読みください。




記憶力がそんなによろしくない、という人は大切なことをメモして、時折読み返すためのノートがあると良いんじゃないかと思います。ちょっとした日記の書ける、すてきな手帳とかが手元にあるとそれなりに記憶が整理されてゆくのではないかと。明かりの本では忘れかけた良書の再読をお薦めしています。図書館や本屋を使うのが一番だと思いますが、明かりの本でも良書が読めますよ。右上のカテゴリーに好きな作家名があればクリックしてぜひお読みください。今はまだハロウィンの季節ですが、ディケンズの『クリスマスキャロル』も読めますよ。


ところで『ジャックと豆の木』という童話はイギリスの民話から変化していったもので、原作者が誰なのかはよく判りません。






http://akarinohon.com/center/jack_to_mamenoki.html (ページ数 約30枚)

眠る森のお姫さま ペロー

  • 2011.09.10 Saturday
  • 17:17


今日はペローの『眠る森のお姫さま』を紹介します。
童話です。子どもが読むための本です。
しかし、大人でもちょっと読んでみてください。




美術家はよく、子どもの絵に感心しています。わりと多くの美術家が「小学校低学年ぐらいの絵が良い」と言うんです。僕はよく神社や博物館に飾られている子どもの絵に出くわすことがあるんですが、やっぱり小学生123年生くらいまでの絵はクレヨンを熱心に動かしていて、色も形も自由奔放で、自分なりの工夫があって見ていて飽きないです。それがなぜか小学校6年生や中学生になってくると、とたんに情熱が消え去ってしまって画一化されたものを描いてしまう。自分なりの工夫というものが押し潰されてしまうようです。アニメ絵がカクカクに強張ってしまったような絵であったり、風景写真の解像度が落ちたような絵であったりして、もともと持っていたはずの美が消え去ってしまうんです。


誤解のないように述べるのなら「童心に帰ろう」ということを言いたいんじゃないんです。戦争や平和の詩を読んでいても、幼い子どもが書いた詩のほうが芸術や学問の本質を掴んでいる、と感じることがよくあるんです。ピカソやクレーは子どものような奔放さを大人になっても発揮できた希有な芸術家で、それは童心に帰ったなんて状態じゃないです。でも明らかに子どもの力を発揮している。




ピカソがどう魅力的なのかというと、たとえばゲルニカという絵を描く時に、その描きたいという対象について熱心であると言うことが一つ言えるのではないでしょうか。描きたい、というものそのものをものすごく熱心に見ている。子どもが熱心に泣いている、子どもがなにか自分なりに遊んでいる、というところと共通しているように思えます。ピカソは対象をあたかもはじめて見たものであるかのようにじっくりと見ている。だから他の人と異なる表現になってゆく。絵を描く時に対象を見ていて、それはいったいどういうことなんだということをしつこく追求している。対象へのまなざしが純粋で、惰性で描いていないんだと言えると思います。「描き終えた後にも、その世界を一生見つめてゆくのだ」という意識が大切なようです。多くの画家は、そういうものだけを選びとって描いています。ほんとうに描きたいものを熱心に描いて、ほんとうは描きたくない、というものは慎重に拒むというのが、純粋さを失わない方法論なんじゃないでしょうか。




多忙が原因で感覚が干涸らびてしまった大人は、子どもに学ぶしかないんじゃないかと思います。『眠る森のお姫さま』やそういった童話を熱心に聞いていた時間があるはずなんですよね、誰にでも。
「むかしの私」に学ぶ機会があっても良いんじゃないかと。




僕は、100年眠っていたお姫さまの童話を読んでいて、98歳になってから処女詩集を出した実在の詩人を思い浮かべました。その方は、97歳までは目に見えない詩人だった。98歳になってはじめて、世間からも詩人と呼ばれるようになった。そばにいた誰かは、この人が未来の詩人であることを見抜いていたはずです。







やまなし 宮沢賢治

  • 2011.07.15 Friday
  • 04:24

宮沢賢治の『やまなし』を、ブラウザ上で全文お読みいただけます。


 
http://akarinohon.com/basic/yamanasi.html (総ページ数 約8枚)


ごん狐 新美南吉

  • 2011.06.24 Friday
  • 21:05

今日は新美南吉の《ごん狐》を紹介します。


一度は読んだことがあると思います。しかし、この童話の結末を忘れている人は多いんじゃないかと思います。
記憶って不思議ですよね。記憶力のいい人は全てそのまま憶えているんでしょうか。
「ごんぎつね」って言われたら、「あー、なんか知ってる」と思うんです。
「こうこうこういう話だよね」って言われたら「あー、こうこうこういう話なんだよね」って言える。
「これはこうだったよ」って言われたら「あー、これはこうだったよね」っていつのまにか答えている。
でもなんの呼びかけもなかった場合は、ほんとうにそれについてなにも思い出せなくなってしまったりするんです。本来なら覚えているべき事も、なぜか忘れていることがあるんです。




これは『全ての不幸な事柄について、それを事故として考えてみる』という感覚がつまった童話です。

困った事態におちいった時に『これは事故なのではないか』という言葉から思いを巡らせる。いろいろな不具合が生じていて、何かがおかしいと感じている時に、その原因が、事故から来ているのではないかと想像してみる。そういう結末が描かれています。






http://akarinohon.com/basic/gongitsune.html (総ページ数 約30枚)


赤ずきんちゃん グリム兄弟

  • 2011.06.06 Monday
  • 15:48


今日はグリム兄弟の《赤ずきんちゃん》を紹介します。

グリム童話ってけっこう残酷です。「えっ、これどういうオチ?」というような怖い結末がけっこうあります。だからこそというか、結末がどうなるか判らないので興味深く読めるわけなんですが。この話はなんというか、イメージがすごく鮮やかというか、象徴的というか、いつまでも記憶に残ります。




【赤いずきんの少女/おばあちゃん/なんでも飲み込むオオカミ/石/お菓子とぶどう酒】




一つ一つのモチーフがとても絵画的です。セザンヌやピカソがこのモチーフを描いたらどうなるんだろうか、とか空想します。或いは安部公房がこの小説をモチーフにして書いたらどの部分を掘り下げると思いますか? または推理作家がこれを書いたら、どういうトリックになるんでしょうか。あるいは少女マンガ家だとどの部分で楽しませてくれるのでしょうか。なんだかとても象徴的な粗筋とモチーフに思えます。これってでも、少女が主人公なわけで、男がこれを読むと、どうしても自分がオオカミや猟師だというような感覚で読んでいくことになるわけですが。




これは冒険譚の基本形である、当たり前の世界から、非現実の世界へと行って、そうして元の世界へ帰ってくるという話しです。

行って帰ってくる。
ウィトゲンシュタインという哲学者はこの「行って帰ってくる」という運動を最重要視しました。立脚点はあくまでも現実の世界であり、そこからどんどん意味が成立しない危機的な状況の解析へと進んでゆきます。そしてどこまでが人間の理解可能な領域で、どこから先が語りえぬ領域であるかを明確化しました。




ウィトゲンシュタインはこのように述べています。

ひとの知ることはすべて三語で語られうる。他はただざわめきや喧騒が聞こえたにすぎない。(キュルンベルガー)

◎哲学というのは、ハエ取り壺にはまってしまったハエに、ハエ取り壺からどうすれば出られるかを教えてやるようなものだ。

◎私を理解する人は、私の命題を通り抜け、その上に立ち、それを乗り越え、最期にそれがナンセンスだと気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわばはしごを昇りきった者は、はしごを投げ棄てなければならない)

◎哲学における諸問題は、思考の限界を超えている。

◎「ある事態が思考可能である」とは、その事態の代替物(箱庭または像)を用意できるということだ。

◎論理はアプリオリ(先天的)である。(哲学は経験に先立つもののみを扱う)

◎思考の限界を捉える時、我々は「以下同様」という言葉に出会わなければならない。

◎およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。



参考文献
論理哲学論考 (岩波文庫)ウィトゲンシュタイン (著)
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む (ちくま学芸文庫) 野矢 茂樹 (著)  
ウィトゲンシュタインの「はしご」 吉田寛    ナカニシヤ出版



ウィトゲンシュタイン哲学を抜粋で説明するのはかなり無理がありますが、ウィトゲンシュタインは微細に専門化する状況において、意味が失われて、泥沼に嵌っている人々に「判りやすい全体像」を提示し、当たり前の世界へと帰ってゆく道のりを指し示します。




ウィトゲンシュタインは「単に無意味な言説を、あたかも価値があるかのように述べ続けている哲学の諸問題」を「論じえないこと」として無意味化しました。
そうして語られるべきであるにもかかわらず語りえぬことについてを、沈黙の内に受け入れようとしました。




小説はもちろん哲学と異なっていて、無意味な世界についてを楽しむこともできます。

行って帰ってくる。
遠い世界へと赴き、現実へと帰る、というのが僕は好きです。

このグリム兄弟の《赤ずきんちゃん》は、非情の世界から日常へと帰る、という
基本的な展開があってすてきです。




ラプンツェル グリム

  • 2011.05.30 Monday
  • 15:08



今日はグリムのラプンツェルを紹介します。
10ページほどの童話ですので、どなたでも最後までお読みいただけます。




この物語には、【魔女】と【囚われの少女】と【王子】という典型的な三者が登場します。
僕はこういう基本的なのに魅力的な構成の物語が何とも言えず好きです。

魔女というのが悪の知者で、
王子というのが救い主で、
囚われの少女というのがヒロイン。

まさに絵に描いたような構成です。
ジョルジョ・モランディの描いたビンをじっと見ているような気持ちになります。




塔に囚われた少女の救い主となる王子は、いくたびか塔の最上階で逢瀬を重ねます。
この原作は、もともとはもっと性的な物語だったそうです。型に嵌められて魅力が失われてしまった性表現を、もっと詩のようなものに生まれ変わらせたのがグリム兄弟なんです。


雪の女王 アンデルセン

  • 2011.05.16 Monday
  • 20:03

最近知り合った異性に、かつての記憶を重ね合わせることはありませんか。僕はあります。中学生の頃、映画好きの少女が居たんですが、その子はクラスでいちばんの苦労人でした。毎朝自転車で牛乳配達をしおえてからたたたたたたたと走って中学校に来るんです。僕たちは当時、まだ大変に幼かったですから貧乏と労働というものがどういうものなのかまったく知りませんでした。それで幼い頃から大人びていた彼女のことにとても興味がありました。



ずいぶん年をとってからその彼女から話しを聞いたのですが、彼女は映画好きでした。それもテレビでやっているような再放送としての映画ではなく、暗い映画館に入って席に着き、これから映画が始まるという瞬間の、ふだんの日々がいったん遠のいて、明るいスクリーンに飲み込まれる瞬間が好き、という話しを聞いた時、貧乏に向き合うのはすてきだなあ、と感じたのでした。なんだかマッチ売りの少女を思い出しました。




ぼくがはじめてアルバイトをしたのは十年ほど前のことで、たしか大学1年生の夏休みで、震災後になんとなく義援金を送りたいのに手持ちの金がなく、なんこかバイトの面接を受けて落ち、それが「大学受験より難しいなあ!」と思ったのでした。競争率は大学受験よりぜんぜん低いんですけどね、無愛想な態度だから受からないんですよ。友人に誘われて荷物の仕分けのバイトの面接に行ったのはその数ヶ月後で、それが僕のはじめてのアルバイトでした。そこはようするに、「はい」とか「ええ」とか「あー、わかりました」ていどの日本語が喋れたら全員合格というアルバイトでした。だから日当も低いんですよ。1日6千円くらい。その日に振り込んだ金額はたしか、千円とかそういうごくわずかの金額でした。あの頃から、自分の接客能力についての単純な実力不足というのをひしひしと感じていたのです。



向いているバイトと向いていないバイトってあるんですよ。ある人には平気でやれても、別の人にはまったく向いていなくて危険なバイトがある。善悪以前に向き不向きというのがあって、むしろ向き不向きについて考えたほうが重要だ、と思います。たとえばぼくがレストランで接客業をしていたらいろいろ接客態度で問題が起きると思うんですよ。態度が無愛想ですから。それは僕が悪人だから問題が起きるのではなくて、単に向いていないからなのです。向いているか向いていないかは、過去の経験からだいたい判るわけです。昔失敗したことは、もいちどやっても失敗するわけです。



僕が向いていたのはキレイな工場でただえんえんとものを仕分けする、という地味なやつでした。向いているバイトに巡り会えるとけっこう稼げるようになって、そのお金でなぜか一人で韓国に行って、まったく読めない韓国語をにらみつけながら、韓国語の辞書を片手に、一人で電車に乗って、北朝鮮の国境を見に行ったのでした。イムジン川というのを映画で知って、その実物をどーにも自分の目で見てみたいと思ったのでした。



「マッチ売りの少女」とか「雪の女王」の作者であるアンデルセンって不遇な生涯だったそうなんです。これでもかというくらい。時代を超えて愛される人ってもうすこし明るくて朗らかな人生の人は居ないのか、と思います。アンデルセンは数多くの名作を残したにも関わらず、当時は著作権というものが存在していなかったのでずっと貧乏で、そのうえ生涯独り身で、恋人もろくに出来なかったそうです。ラブレターを書くのがヘタで、好きになった女性に分厚い自伝を送りつけて強制的に読ませる、という奇行を繰り返したため恋愛ができなかったそうです。


……。


この雪の女王は、7つの物語から成り立っています。合計60ページくらいです。



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