源氏物語 紅葉賀 紫式部 與謝野晶子訳
- 2011.12.10 Saturday
- 00:18
今日は源氏物語の紅葉賀を紹介します。
源氏物語は、荘厳な恋愛絵巻といった印象が強いですが、そこにいつも漂っているのは、寂しさや苦悩です。源氏がやっていることは一夫一婦制の現代人には信じられないような多様な恋愛であるのですが、なぜかいつも別れた人との寂寥を感じさせます。
紫式部は幼い頃に母と生き別れ、成人してからは夫と離別しています。けっして幸福な生涯とは言えなかった紫式部ですが、それで人々の苦しさを癒すような、鮮やかな恋愛絵巻を創ってゆけたのではないかと感じます。不幸を忘れず、しかし不幸に負けない、というのが紫式部の創作論ではないかと思います。
紫式部日記には、紀 貫之に宛てて書いた手紙に、こう書き記しています。
『年頃つれづれに眺め明かし暮らしつつ、花鳥の色をも音をも、春秋に行き交ふ空のけしき、月の影、霜雪を見て、そのとき来にけりとばかり思ひわきつつ、「いかにやいかに」とばかり、行く末の心細さはやるかたなきものから』
これは紫式部の夫が亡くなってから数年間を涙に暮れて過ごし、自然の風景に触れても「ああ、こんな季節になったのか」とは思うけれど、思い起こすのは「いったい私と娘はこれからどうなってしまうのかしら」ということばかりで、心細いのです、ということを書いた手紙なのです。
この紅葉賀では、罪の意識を感じながら、季節を愛でる源氏たちが描かれています。主人公の源氏はとびきりの善人などということはなく、「ひどい!」と思うようなことも平気で考えたりやってしまったりする人物で、そこが源氏物語の魅力なんじゃないかなと思います。
前回のあらすじ(wikipediaより)
乳母子の大輔の命婦から亡き常陸宮の姫君の噂を聞いた源氏は、「零落した悲劇の姫君」という幻想に憧れと好奇心を抱いて求愛した。親友の頭中将とも競い合って逢瀬を果たしたものの、彼女の対応の覚束なさは源氏を困惑させた。さらにある雪の朝、姫君の顔をのぞき見た光源氏はその醜さに仰天する。その後もあまりに世間知らずな言動の数々に辟易しつつも、源氏は彼女の困窮ぶりに同情し、また素直な心根に見捨てられないものを感じて、彼女の暮らし向きへ援助を行うようになった。
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