長崎の鐘 永井隆

  • 2011.08.15 Monday
  • 19:09

今日は戦争と戦後に関する本を紹介したいと思います。
永井隆は放射能に詳しい長崎の医師で、昭和20年(1945年)の8月9日に長崎に落とされた原爆の被害にあいながらも、生涯医師を貫き通した方で、『長崎の鐘』は原爆投下後の長崎の様子を克明に記した被曝体験記です。




先日、新宿の映画館で新藤兼人監督の『第五福竜丸(1959年作)』を見てきたのですが、これはほんとうによく考えて作られた映画で衝撃を受けました。映画って小説と違って万人が見るものですから、そうやすやすと難解な事態を社会派の物語に作り上げられないと思うんですが、新藤監督は脚本を自ら書き上げ、この映画の上映にこぎ着けています。50年経ってから見て、見ているだけですごいと思うんですから、作るのはもう想像も出来ないほどの力が必要になるんだと思います。




『第五福竜丸』というのは1954年3月1日マーシャル諸島近海において原爆実験に遭遇してしまった漁船のことを主題にした映画で、そこに乗っていた漁師達の人生を描いたものです。新聞記者や漁師の奥さんたち、放射能に恐怖する市民、医師、米国の要人など、ありとあらゆる人物が登場し、まるでドキュメンタリー映画のようにリアルに物語が描かれてゆきます。形式はフィクション映画ですが、これはノンフィクション映画と言っても良いようなリアリティがあります。ただ、この映画は興行的にはまったくふるわず、大借金を抱えることになって、次の映画『裸の島』で復活を遂げることになるんですが。僕は最近、新藤監督の映画を数十本見ていったんですが、新藤兼人監督の一番の魅力は「現実から逃げない」ということなんだと思います。




ただ悲惨なことを表現する映画ってたくさんあるんですけど、この映画は悲惨さを売りにして客寄せをしてやろうというようなふざけた映画とはまるで違うんです。現実を万人に判ってもらおう、という意図で作られています。ですから、視聴者が狂気に陥らないように細心の注意を払って物語が組み上げられています。過酷な現実と、朗らかな日常が交互に積みあげられていて、見ていて感情移入できます。ようするに新藤兼人監督の生命賛歌の感覚が生き生きと映像化されていて、悲惨な現実を乗り越えるような生命力が映画全体にただよっているんです。新藤兼人映画を見ていて一番すごいなと思ったのは、立場の異なる人が、すごく重要なことを明言していて、その本来遠くにいる人との距離がぐっと縮まる部分です。たとえば『第五福竜丸』という映画では米国大使が重要な場面で、このような悲劇は二度と繰り返してはならない、と宣言しているんですが、物語の展開上それが見ている人にすんなりと良く入ってくるんです。当時の米国人と日本人とでは立場がまるで異なるんですが、同じ思いを噛みしめている。




他にも新藤兼人監督の『午後の遺言状』という映画では、ゲートボールをやっているご老人を襲ったおかしな男が出てきて、すごい大事なことを言うんですね。私たちとはまるで違う、おかしな人間なのにすごく大事なことを言う。『生きているかぎりーー』というそのすごい大事なことが、ほとんどそのまんま、新藤兼人の最新作の主題になっている。

立場の異なる人こそを熱心に描いている、明確に捉えている、というのが新藤兼人映画の真骨頂なんだ、と気付かされました。




医師の永井隆は昭和20年(1945年)の敗戦後、長崎でどのようなことが起きどのような実感を持ったかを丁寧に書き記しています。8月15日に玉音放送がラジオで流れ、市民がその放送をどのように解釈したのか、そういったこともよく判るように書き残されています。ほんとうにどういう状況だったのか、というのがはっきりと記されています。原爆による被爆と原子力発電所事故とはその危機も性質もまるで異なっていて、まったく比べられないものですが、とくに健康への影響については原爆被害を調べるよりも、チェルノブイリよりもどのように厳しいか、或いは希望があるかという事を比較すべきですが、危機に直面しても熱心に仕事をやり遂げようとする人が66年前にも、現代にも実在するというのは、私たちが今、知っておくべき現実ではないかと思います。




少なくとも『長崎の鐘』のような本を読み継いできた日本人ならば、世界中の技術者達が運転は不可能であると断定した【高速増殖炉もんじゅ】のようにナトリウムとプルトニウムを使ったFBRを、廃炉にしてゆくことが私たちの選ぶべき道であると判断できるはずです。安全な原発についての稼働は意見の分かれるところですが、ドイツやイタリアが原子力発電所の全廃を決めているのに、日本ではまだ老朽化した原発や危険な原発を稼働させているというのはどう考えても異常です。よく、原子力に代わるエネルギーがないと言われていますが、これは短期的にはLNG発電所の新設を中心とし、長期的には自然エネルギーを選択するより他、道は無いと思われます。永井医師の祈りが記された本を、新エネルギーの話と絡めて紹介することは心苦しいのですが。




これ以上の原子力災害は起こすべきではない、ということは全ての人の願いです。同時に、大地震と津波は何千年も前から必ずある周期で起きている、ということも事実です。齢九十九になるまで六十年以上にわたって社会派の映画を撮り続けてきた新藤兼人監督が、文藝春秋の9月号で、原子力事故に対する説明と解釈があいまいである、と述べておられました。




新藤兼人監督は「なんにでも終わりがあるように、ついに私にも終わりの時がやってきました。私は居なくなってしまいますが、私のことをいつか思い出してくれるのならば、新藤兼人という存在は死なない。映画や文藝は社会を動かしうる力を持っているものですから、それを作る人が現実から逃げず立ち向かえば、私たちが実現したい社会が作れるんです」と述べておられました。





http://akarinohon.com/basic/nagasakino_kane.html (ページ数 約200枚)


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