今日はオマル・ハイヤームという詩人の『ルバイヤート』という詩集を紹介します。
オマル・ハイヤームというのはイラン=イスラーム文化の代表者で、天文学や数学に長けた学者さんでもあった人物です。イスラーム文化といえばまず思い浮かぶのはイスラム教の開祖であるマホメット(ムハンマド)です。
僕はイスラム過激派が起こした大きな事件以来、本来のイスラム文化というのがどういうものだったのかというのがとても気になっていて、それで井筒俊彦の『マホメット』を読んで、ほんとうに目からウロコが落ちたというか、「学問って、こんなに面白いのか!」というショックを受けました。マホメットという歴史的人物に魅力があるのは当たり前かもしれませんが、それ以上に井筒俊彦という学者の情熱的な表現に魅入られたんです。
井筒俊彦の『マホメット』は、イスラームの起源を史実通りに正確に解説している書物ではあるのですが、その表現はほとんど映画や物語絵巻のようなダイナミズムがあります。なによりも情感を中心にしてイスラーム文化の勃興を伝えようとしていて、激しい文学に突き当たったような衝撃を受けますよ。イスラム教の起源を知りたいという人は、ぜひこの本を手にとってみてください。イスラム教はどのような理由で発生して、マホメットは人びとのどこを改めんと欲し、なにを警告していたのかがよく判ると思います。
子どもの頃に感動した本というのはどんな人にでもあると思いますが、大人になってから「びっくりした!」と思う本はめったにないかと思います。僕にとって井筒俊彦の本は、独学に目覚めさせてくれた、転機のきっかけを与えてくれた本です。
井筒俊彦の『マホメット』について、ほんの少しだけ紹介してみます。
マホメットは、イスラーム教の開祖であり、のちに他文化の人びとからむごたらしいほどに否定されたこともある人物ですが、マホメットが本来求めているものは「他文化に対する攻撃や破壊」というものとはまったくかけ離れたものです。マホメットはもともと商人であり、自分たちの問題を解決しようということを中心にして宗教を興した人物です。マホメットは【長く持続できる商売】の障害となるものを変えてゆこうとした、商売を壊す者の心情を改めさせ仲間に招きいれてゆこうとした、というのがイスラーム教誕生の重要なポイントです。ですから人びとの生活を壊すイスラム過激派と、本来のイスラム文化とはかなり考え方が違います。
マホメットが警告した相手は、無道時代のベドウィンです。マホメットや井筒俊彦は、この血族や闘争を好むベドウィンを否定する立場で描いているのですが、僕はその本を読んでいて、批判されているベドウィンという砂漠の民にどうにもいわく言いがたい魅力を感じてしまいました。
無道時代のベドウィンは砂漠の騎士道を信じていた。ベドウィンはその生活態度において驚くばかり保守的で、血族の命令を信じ、祭りを祝い、掠奪を繰り返し、血で血を洗う闘争をいつまでも繰り返している。それはベドウィンたちが過去に対する激しい執心を持ち、自分たちの過去を痛愛し、自分達の過去に執着しているからである、と井筒俊彦は指摘します。現代の私たちがおりおりするように遠い懐かしい憶い出の世界に赴くのではなく、砂漠の民ベドウィンにとって過去は現実の一部である。
マホメットは、彼らに対して絶叫します。「汝らは、祖先の歩んできた途が明かに蒙昧頑愚の途であることを知りながら、しかもなお過去に執着することをやめないのか」
なぜベドウィンが掠奪と闘争を終えないのかというと、それはその部族が血の繋がりを神聖なものとして絶対視し、血族と共に迷い、正邪善悪の区別なく、いついかなる場合でも血族と行動をともにしているということが、ベドウィンの唯一の在り方だからである、とマホメットは警告します。現代日本でこれを言い換えてみれば、原子力発電所が自然災害に弱いと判ったあとにも、まだ地震大国で原子力発電を推進しようとする態度に似ています。血族の命令に異議を述べられないから悔い改めることが出来ない。
このように激しく否定された砂漠の民ベドウィンであるのですが、このベドウィンというのが詩作や芸能という分野に於いて、ものすごく魅力的なんですね。井筒俊彦は、イスラームがあれほど華やかに成功をおさめたのは、この無道時代に大きな素地が出来上がっていたと分析します。イスラーム繁栄の素地は「無道時代の最後を華やかに彩る青年層の、すでに限界に達した精神状況の裡に求めることができる」(P.44)と井筒俊彦は指摘しています。
彼らは詩作や音楽を愛してやまなかったのですが、その特徴を、井筒はこう表現します。
アラビア砂漠の只中では「眼光射るごとく耳はシマウより敏き」男が理想的人間であった。(p.49)こういう極度の感覚性には長所もあれば短所もある。彼らがその比類なき感覚を以て現実から受けとる個々の形象や映像は実に新鮮で強烈ではあるが、しかしそれを通して彼らが観る世界はそれらの個々の印象の雑然たる集塊であってそこにはなんの論理性もない。
現代エジプト大学の教授としてその学風を敬慕されているアフマド・アミーンは「イスラムの黎明」という興味ある書物の中で、これについて書いている。
「ベドウィンは物のまわりをぐるっと廻って見る。そしてそこに色彩燦然たる真珠の玉を幾つも幾つも見つけ出す。けれどもこの美しい真珠の玉には、それらをつなぐ糸が通っていないのだ」(p.50)
僕は、この指摘がすごく秀逸だなと思うんです。これはなにも、ベドウィンにかぎったことではない。短期的な快適さを手に入れるのは上手でも、長期的に向上してゆく戦略が無い、という事態はほんとうに良くあることだと思います。
「感覚の世界を論理的に統一して把握する」ことが出来ないベドウィンは色彩燦然たる世界を幾つも見つけ出すが感覚的世界を超越することが出来ず、自身らの儚さを痛感して、彼らは「徹底した現実主義者となる」(p.50)と、井筒俊彦は述べます。
マホメットは、この脈絡のない不和が生滅する世界に一本筋を通して、全体を見渡せる状態にして、長々とつづく商人文化を栄えさせました。現実が儚い。自分が儚い。と、ベドウィンが意識しはじめた頃に、イスラム教が興ったのです。
恐ろしい自暴自棄に陥って、ただ官能的快楽の追求のみに日夜を送っていた彼らを、マホメットは一体どんな方法で救済へ導こうとしたのか。詳しくは井筒俊彦の「マホメット」を読んでみてください。
井筒俊彦はマホメットの無常観や、むなしさや、人生の儚さ、哀愁(あいしゅう)を読み解いてゆきます。
そして、マホメット以前とマホメット以後の大きな違いをこのように指摘しています。
- ベドウィンの人生観においては、哀愁と享楽主義が表裏一体である。
- マホメットにおいては、哀愁は、悔い改めに通じている。
「なにくそ」と思うことがあった時、その怒りを学問や仕事にぶつけるのか、その怒りを愉楽で自己慰安するのか。この「ベドウィンとマホメット以後」の対比というのは、誰にでもよく当てはまる違いだと思います。そういえば昨日の私はベドウィンのようであった、今日はすこし悔い改めに通じている気がする、と思う人は多いんじゃないでしょうか。
オマル・ハイヤームという詩人は、マホメットがイスラム教を興した400年後に、全く新しい視点でベドウィンのような人生観を肯定しようとし、享楽主義をむしろすすめ、過去への悪しき執着から生じる不和を解消しようとした詩人です。オマル・ハイヤームが「酒を飲もう」と述べているのは、それはイスラム法で飲酒を明確に禁止しており、それに抵抗するという意図があってしきりに酒を飲むことを推奨しているようです。
酒にひたることだけは止めたほうが良いとは思いますが、悲嘆からの解放を目指して何らかの享楽を用いることに、異を唱える現代人は居ないはずです。
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