学問のすすめ 福沢諭吉

  • 2011.08.12 Friday
  • 20:49


今日は福沢諭吉の【学問のすすめ】を紹介します。
福沢諭吉は、たとえば小学生のための偉人紹介などの本で、まず一番に紹介される人です。福沢諭吉の書物を実際に読んでみると判りますが、儒教的と言いますか、獣のように乱雑な人々に対してかなり厳しいことを書いています。「愚民」というような今では使わない言葉も頻繁に書き記されていて、現代には通用しないような内容も含まれています。ただとにかくこれは読んでみると「ああ、こういうことが書いてあったのか!」と驚く部分が多いです。興味深い本ですよ。この本は、当時の日本人の10人に1人が読んだ本で、日本初のベストセラーになった本なんです。




福沢諭吉はそれまであった「実なき虚威」である縦社会を否定するために、「機会の平等」と「学問」の大切さを説いているんですが、そこで「万人に学問を」と述べているんです。
それで学問とはなにかというと「難しい文章や古文書が読めるとかいうことが学問ではない」と福沢諭吉は述べているんです。じゃあどういうことが学問かというと「実学が学問である。米を炊いて暮らしている人間にとっては、その米を炊くことが学問だ」と言うんです。家事をしているのなら家事をしていることそのものが学問で、万人に学問をすすめているわけです。パン屋さんであれば、美味しいパンを焼くことが、ほんとうの学問である、と福沢諭吉は述べています。




少し、具体的に説明してみます。見た目は派手で中身が空っぽのパンをたくさん売って儲ける方法を編み出しても、それはいっさい学問になっていない。しかしはじめはほとんど売れなかったとしても自分たちの将来に確実に役立つはずであるという確信を持てるのなら、それは学問になっている。




個人的な意見を述べると、ぼくは福沢諭吉の「学問のすすめ」を原文で読むよりも、たとえば白土三平の「カムイ伝」第一部を読んだり、あるいは実際の社会で対人関係を通して学んでいるほうが「平等」や「学問」や「組織」の意味を学ぶところが多いと思うんですが。




読んでゆけば判るんですが、「学問のすすめ」にはけっこう厳しいことが書いてあるんです。とくに、獣のように乱雑な人々の将来に関しては非常に過酷な未来を宣言しています。福沢諭吉は当時、外の世界を排撃して攘夷を遂げようとする人々を厳しく批判し、鎖国してはならないと説いています。鎖国というのはなにも国家が行う排他思想だけではなくて、私たち個人がどのように鎖国しているか、という問題を取り扱っています。今の時代にぴったりと良く当てはまる箇所も多いかと思います。どの組織が、どのように外の世界を見ていないのか。私たちがどのように『私たち以外の世界』との関係性を無視しているのか、というのを考えながら読むと、こういう古い書物の意義が生じるのではないかと思います。福沢諭吉は当時、「私たちの外部」を排撃するのではなく、その外部を日本人らしく捉え直そうとしていたんです。





http://akarinohon.com/basic/gakumonno_susume.html (全17編 総ページ数 約300枚)


魯迅 自序

  • 2011.07.08 Friday
  • 01:00


今日は魯迅の《自序》を公開します。これはほんの十ページほどの自伝ですから、ぜひ最後まで読んでみてください。魯迅、というととにかく苛烈な挫折を丁寧に描き出す作家ですが、これはその魯迅が小説を書く動機、を記したものです。




僕は中国というととにかく老子を思い浮かべるのですが、魯迅の「厳しい状況へのまなざし」はまさに、老子の言う「上善は水の如し」を想起させるものだと思います。もっとも理想的なものは水のようであり、低いところに住まいをかまえ、僕みたいに「老子だあ」とか「ガンジーだあ」とか言って崇高なものごとをただ言葉だけで論じようとしたりはせず、人の嫌がる低い所へ流れていく水のような心の持ち主が本物である、と老子は述べるのですが、魯迅はそういうことを実際に行おうとしていたんじゃないかと思います。




魯迅は老子のように寛容さがあるわけでは無いわけで、魯迅らしい過酷さがあるんですが、なんだか壁の前で途方に暮れている人と共にとにかく嘆きを分かち合おうとしている。それで頭をガツンとなぐられたような、涙で川があふれてしまうような衝撃を読者に与えるんだと思います。




ところで魯迅というのは夏目 漱石を愛読していたそうです。すごいですね、夏目 漱石。中国の文化人も愛読して、カナダのピアニストも愛読する。そんなすごい作家がいたとは、とあらためて驚きます。





恋愛といふもの 岡本かの子

  • 2011.07.06 Wednesday
  • 07:50
 

今日は岡本かの子の『恋愛といふもの』という随筆を紹介します。
3ページほどの、掌編です。
岡本かの子といえば、岡本太郎の母であります。岡本かの子の短編集は、まるで随筆のように描かれていて、これは作者の創作なのか、それとも日記なのか、区別がつかないところがなんだか魅力なんですが。




ぼくはどうにもあり得ないことを書いている物語よりも、作者がほんとうにそういうことを思っているんだろうなというふうに感じられるエッセーや随想が好きなのです。小説を読んでいても、作者の顔が見えてくるようなそういう手触りのあるものが良いなあと思うのです。これは甘いお菓子と苦い紅茶を連想させるようなエッセーです。あと味はけっこう苦い。






料理メモ 北大路魯山人

  • 2011.06.29 Wednesday
  • 18:53


今日は北大路魯山人の《料理メモ》を紹介します。北大路魯山人といえば陶芸の大家として有名なんですが、陶芸界の常識からはかけ離れた作風なんです。普通の陶芸は精密さや技巧の難解さで特別な気配を表現するのですが、魯山人はそうじゃないんです。土を練って加工して焼いて器を作りそれを食器として使ってものを食べる、というそういう一つ一つの行程がはっきりと目に見えてくるような、独特な美を創りだしています。




たとえば「リンゴ」というとリンゴ10%ジュースを思い浮かべる場合と、リンゴの種が生長して木になって何十年か後にリンゴが出来るというのを思い浮かべる場合とでは、リンゴの存在感がまるで違いますよね。魯山人はそういう行程をはっきりと意識させてくれる人です。ほとんどグズグズになった鯛よりも、新鮮な鮎のほうが遙かに美味いってことをふつうに教えてくれる。魯山人は人工的なものをほとんど信じていないんですよ。学歴に関しても梅屋小学校を卒業して、そのまんま丁稚奉公しているわけです。だから型に嵌められて魅力を失っているものを重んじないで済む。あらゆる規制を重んじる陶芸界においても「これは必要」「これは私には不要」ってことをはっきりと独自に判断できる。




たとえばいくら素晴らしいと言っても、学者になるわけでもないのにエスペラント語を一生懸命習ったら、自分の人生計画からかけ離れてまったく変なことをしているってことになりますよね。英語なら確実に使う機会があるはずですが。エスペラント語を使う機会はない。そのエスペラント語というのがいかにオシャレでカッコイイものであっても、やっぱりそれは遊び以外には使えないんです。学者になる人には大切であっても、そうでないのなら不要かもしれない。だからエスペラント語については受け流す。エスペラント語を覚えている時間を使って、のんびり遊ぶか料理を作るかしたほうが良い。魯山人のこのメモには、現代に通じるところと、現代には通じないところとが、はっきりと分けて見えてくると思います。小説や物語の場合は、ついうっかり「現代に通用する感覚」と「現代にはまったく合わない感覚」とを混同して読んでしまいますよね。でも、この随筆の場合は、そういった「情報の要・不要」の判断がつきやすいものになっています。




日本人の特徴というのが、江戸時代や明治時代の衛生管理に現れている、という話しはご存じでしょうか? 同じ時代、フランスでは川に糞尿とかがあふれていてコレラとかが蔓延していた。ところが日本人は礼節や縦社会をすごく重んじるので江戸幕府はそういう下水処理や衛生管理などを整えるのが上手くて、病を防ぐ能力が高かった。その頃から、日本人はお上に従うという感覚を強く刷り込まれていくわけです。それで給食を卒業して自炊がはじまったら、ジュースとアロエとサプリメントしか食べないというようなムチャクチャ危ない食生活になってしまったりする。巨大組織の与えるものを盲信して不健康になってしまう。




魯山人は縦社会とか権力とかいわれているものの中で、これは自分に合わない、というものをちゃんと否定できる、という部分が一番の魅力なんです。リンゴ10%ジュースばかりを飲んでいると栄養が偏って不健康になる。新鮮なリンゴを美味しく食べているとやはり健康になる。魯山人はそういう健康の概念に目覚めさせてくれるような文化人です。






http://akarinohon.com/basic/ryorimemo.html (総ページ数 約10枚)




子規の画 夏目漱石

  • 2011.06.15 Wednesday
  • 19:21

今日は夏目漱石の手記、『子規の画』を紹介します。
漱石が正岡子規のことを書いている、短い随筆です。




夏目漱石のことを調べてみると、漱石はやっぱり学生時代の正岡子規との交流がいちばん楽しかったようです。正岡子規が居なかったら、そもそも夏目漱石は誕生していないわけで、「漱石」という名前はもともとは正岡子規が使おうとしていた作家名で、夏目漱石がその名前を子規からもらうことにした。「漱石」という名前の由来は「石に枕し流れに漱ぐ」という無為自然の暮らしのことを表現した「枕石漱流」から来ています。それをある人が「漱石枕流」と言ってしまって、それじゃあ「流れに枕して、石で顔を洗う」になっちゃうじゃないかと指摘された時に、意地をはって「いや漱石で良いんだ! 漱石のほうがぜんぜん良い!」と負け惜しみを言い続けたという古事(珍事?)から来ている名前です。




正岡子規が亡くなってしまった後に、夏目金之助は、夏目漱石として作家の道を歩む決意をしたわけなんです。僕にはそういう人生が変わるような親友というのはまったく居ないですから、ただただ憧れます。というか、そういうれっきとした付き合いが出来る人のほうが珍しく貴重な存在なんだと思います。




子規が作っておいた道のりを辿って、漱石は小説家になった。やっぱり漱石は、子規がほんとうにやりたかったことを、自らで体現して見せようとしたんじゃないかなと思うんです。夏目漱石のユーモアというのは、寄席の世界観だと思うんです。その寄席には若い頃の正岡子規と一緒に通っています。漱石がユーモア小説を書くのはそのへんの楽しい記憶が深く関わっていそうです。




漱石が正岡子規との十年前の記憶について書いているこの文章は、とても淡々としていて、けれども冷徹ではない、という落ち着いたものです。
漱石はこの随筆で、正岡子規の文学はなににつけ「巧」であって「たくみだった」と述べています。もっと「拙」で「へたで良いから、のびのびと」していてほしかったなあ、と書いています。





マハトマ・ガンジー 非暴力

  • 2011.05.26 Thursday
  • 21:51


今日はマハトマ・ガンジーの《非暴力》を紹介します。総ページ数10ページほどの文章です。興味のある方はお読みください。
ガンジーと言えばインド独立の父で「非暴力 不服従」を守り抜いた人、ということになっています。ぼくは普段から「服従」ばかりしている気がします。いやそもそも日本では大問題が起きても暴動を起こしたりはせず、忍耐と工夫で問題を解消してゆきます。不服従という傾向は少ない。




例えばカントは「自由に論議せよ。ただし服従せよ」という言葉を引用しており、
「自らがたしかに選び取った義務に従う時にのみ自由が生じる」と述べています。
一方でガンジーは「非暴力かつ不服従」でなければならない、と述べています。


カントは「服従と議論」
ガンジーは「不服従と非暴力」


カントは「服従」
ガンジーは「不服従」です。


なぜそのようにまったく逆の理論になるのかというと、この両者が暮らしていた社会の状況とそれへのアプローチの仕方がかなり異なっているから、ということのようです。どちらか一方が思想上間違っているわけでもなく。いろいろな本を読んでみると、「不服従」であっても「服従」であっても、どちらも価値はあるんだ、ということがなんとなく判明してきます。
「暴力」と「非暴力」
ガンジーは暴力というものに強く関わっていた。暴力がものをいう世界に住んでいた。ガンジーは、この暴力をコントロールする力を得るわけです。




それで、ガンジーが不服従で、カントが服従だということの両方に価値があるというのはどうしてかというと、その時代背景と一緒にその思想家を見ていった時に「そうでなくっちゃあ」と思えるものが潜んでいるからなんです。
ガンジーは、南アフリカで有色人種として強い差別を受けた。その経験をもとにして、当時インドを支配していた帝国主義に対して不服従の意志を固め、人権運動や植民地解放運動を成功させ人々を解放に導いてゆきます。
ガンジーがすごいや、と思うには、ガンジーの中心的発言だけを見ておったんでは判らない。ガンジーの長々とした物語も必要になってくる。




ガンジーの物語とガンジーの中心点の2つがあわさって、はじめてガンジーすてき、となるわけです。ガンジーの全体像と、ガンジーの中心。この2つを知って、それまで見えてこなかった3つめのなにかがわっと目に見えてくる。ガンジーの物語の中で、ガンジーの「不服従」という言葉が耀いてくるわけです。

夏目漱石 私の個人主義

  • 2011.04.24 Sunday
  • 14:28
夏目漱石の、《私の個人主義》を掲載しました。
ブラウザ上で全文およみいただけます。 (約50ページ)


僕はこの講演録をむかし本屋で立ち読みして、なんだか妙に感銘を受けました。むずかしいことをわかりやすく、またおもしろく述べています。夏目漱石ってじつはひょうひょうとした知識人だったんだなあと、目から鱗が落ちた気分でした。はじめて書いた小説が、ネコを主人公にしたものなんだから当たり前かもしれませんが。もっと堅苦しいことを考えている人なのかと思っていました。
夏目漱石はこの講演で、他人の自由を重んじ、義務をともなう個人主義について丁寧に説いています。




以下は夏目漱石の記した言葉です。






私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。




ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。


必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。







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