現代日本の開化 夏目漱石

  • 2011.12.04 Sunday
  • 03:46


今日は夏目漱石の『現代日本の開化』を紹介します。
さいきんめっきり肌寒くなってきて、真冬の様相を呈して来ましたが、いかがお過ごしでしょうか。


これは夏目漱石が真夏に行った講演会の記録です。
漱石がこの講演を行った頃は、西洋文明が日本にどんどんと流れ込んでいた時代です。2011年と同じく、時代の節目だったわけです。漱石はその先頭にたって英語や英国文学などを多くの学生に教えています。西洋文化を取り入れる時に、いったい何に注意していればよいか。そういうことを熱心に考えていたのが漱石です。


文化や情報が一気に入ってくるということは、役に立つと同時に、害そのものでもある、と漱石は述べます。ちょうど、インターネットを盛んに使い始めた時代にも似ているかもしれません。文明の開化は、人間活力の発現の経路である、と漱石は言います。


漱石が現代に生きていたら、十年くらい前にwikipediaの到来やフランスでのブログ文化などを熱心に語ったかもしれませんね。ネット環境はものごとを手軽にするかわりに、人を横着にさせる。漱石は文明の進化によって、できるだけ義務を楽にしたいという横着な技術が発展すると予言していますが、まさに21世紀はロボットが自動車のように現実社会にあふれかえることになりますから、鋭い指摘です。


漱石は文明が進化するほど、歩くのも省略したいし自転車や自動車や飛行機などが発達していって、とにかく義務を楽にして、道楽ばかりに集中したい、という人々が増えると予想しています。日本の未来をかなり的確に言い当てていますね。自動車産業とゲーム産業はほとんど世界一、というのが日本ですから。義務を軽減して、道楽に集中したいという日本人の性質を完璧に見抜いています。きっと今後の日本ロボット産業もどんどんこの方針に近づいてしまうんじゃないでしょうか。


漱石はこの発展に対して、強い疑問を投げかけます。自動車産業の偉大な発展が本当に私たちの暮らしぶりを安定させたのか。いや、むしろ不安や不和を増やす結果となってしまった。打ち明けるなら、文明が発達しているのに苦しい境遇に見舞われる人はむしろ増えてしまった。文明の進化は生存の苦痛を和らげない。むしろ増大させている。生存競争から生ずる不安や努力に至ってはけっして昔より楽になっていない。ここで漱石は、老子のように、心理的苦痛の増大へと突き進まない方針を説きます。漱石は、日本の開花が、外発的であると指摘しています。これも日本の現代社会とぴったりと一致しているように思います。




こちらのリンクから全文お読みいただけます。
http://akarinohon.com/center/gendainihonno_kaika.html  (約60頁 / ロード時間約30秒)

吾輩は猫である 夏目漱石

  • 2011.11.29 Tuesday
  • 01:57


今日は夏目漱石の『吾輩は猫である』を公開します。
これは漱石の処女作です。処女作が有名な作家というと、ドストエフスキーの『貧しき人びと』じゃないでしょうか。歴史に残る作家は、たいてい処女作がすごいような気もしますが。「自分の処女作は模倣になってしまってあまり良いものが書けなかった」と述懐する作家も多いですし、後期になるほど優れた小説を書くという、晩成の作家もけっこういますし、処女作はたいてい短編小説になっている場合が多いようにも思います。現代作家の場合は3作品目くらいから長編小説を書きはじめる場合が多いんじゃないでしょうか。


漱石はこの自身の処女作を振り返って、ちょっと蛇足がすぎて小説として纏まらなかった、というふうな感想を書いています。それがかえって、夏目漱石マニアにとってはたまらない逸品として読めるそうなのです。漱石が主人公のネコやくしゃみ先生をほったらかしにして、自説をとうとうと語りはじめる場面が多々あって、そこが中期後期の漱石には見られない赤裸々で迫力のある文章になっています。


明かりの本で『吾輩は猫である』を全文お読みいただけます。が、この機会にこれを少し読んでみて、これは最後まで読み通してみたいものだと思った方は、ぜひ岩波文庫版の『輩輩は猫である』をお買い求めください。岩波版には読みにくい漢字にふりがなが振ってあって、すらすらと読めるように編集されています。


名作をポケットに。ぜひ。




http://akarinohon.com/center/wagahaiwa_nekodearu.html (約350頁 / ロード時間約60秒)


それから 夏目漱石

  • 2011.11.15 Tuesday
  • 21:14


今日は夏目漱石の【それから】を紹介します。これは漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』の中の、二番目の作品です。ただし三作品はそれぞれ完全に独立した物語ですから、どれから読み始めてもまったく問題なく読めますよ。




「それから」という小説は、モラトリアム人間である長井代助が主人公です。すでに30歳を迎えとうに働くべき年齢でありながら、まだ社会的義務を猶予されている状態の男。親の資産に余裕があるので働かずにただ理想的な仕事を探しているだけという状態の若者が、この小説の主人公です。




代助には理想があるのですが、その理想と現実との乖離が大きく、まだ社会で働く方法が見出せていない人物です。タイトル通り「それから」どうなるのか、ということが中心の小説です。これは漱石の最高傑作と言われることが多い作品です。




僕はこの小説をかなり読み飛ばして結末を読んでしまったことがあるので、これを機会にちゃんと読んでゆこうかと思います。これはなんというか、まさに今こういう状態なんだ、と言う人が読むと良いんじゃないですかね。




平岡、という男が現実的に働いていて、妻の三千代を養い、そのためにどこか身も心も疲弊しているような印象があります。それとは対照的に主人公の長井代助は働かずに食べていて、心持ちだけは高尚なんです。でも世間から受け入れられない。社会における立ち位置が無い男です。




その男が、まあ金はあるので遊んだり学んだりすることは出来る。遊んだり学んだりしているうちはいいんですが、いずれ破綻することは他人から見れば目に見えている。そういう閉塞した状態で、代助は友人平岡の妻と不倫します。都会に現出した無人島のような世界観で、代助と三千代は二人だけの密会を重ねる。漱石の描く三角関係はとても特徴的で、緊張感があります。




少し長い小説なので、明かりの本の中では、ダンテ神曲に次ぐ読み応えの本です。十七章からなる大長編です。【一の一】からはじまり【一の二】【一の三】と進み、【十七の三】で完結します。一気読みは不可能だと思いますので、右クリックボタン(コンテキストメニュー)を押して、しおりをはさみながら読み進めてみてください。




明かりの本で読んでみて、これは最後まで読みたいと思ったら、ぜひ本屋さんで「それから」を買ってみてください。


『正岡子規』 夏目漱石

  • 2011.11.14 Monday
  • 23:13


今日は夏目漱石が書き残した『正岡子規』という短いエッセーを紹介します。下の方に掲載した写真は数年前、松山に行ったときに撮った愚陀佛庵(ぐだぶつあん)です。愚駄仏庵は漱石の住処で、ここにほんの短いあいだ、正岡子規と夏目漱石が一緒に住んでいました。2階が漱石の住処で、1階に子規が居て、子規の俳句仲間がよく集まっていました。森鴎外や高浜虚子などもここを訪れました。




漱石に文学者になるように勧めたのは米山保三郎という学生時代の親友ですが、文学の魅力や文学の実際を伝えたのは正岡子規です。正岡子規は俳句や小説を創作し、文学雑誌「ほととぎす」の発行などを精力的に行っており、漱石はこれに感化されて文学へとどんどんと近づいていきました。小説家になる前の漱石ってどんな人かというと、英語の先生なんです。日本一英語に詳しいと言うくらい英語を猛勉強したのが夏目漱石です。




漱石は英語をかなり完璧にマスターしていて、さらに漢詩も書けるという語学のエリートです。ところが、若い頃の漱石は英語の勉強ばかりやっているのがどうも好きではなかったようです。漢詩を作るのが好きで、漢文で旅行記とかも書いています。この漱石の書いた漢文を正岡子規が読んで感心して、二人は仲良くなったのです。




漱石は政府の指示で英国留学をするんですが、その時も「英語の研究をしてこい」と言う指示を受けたんですが、正岡子規との長年の付き合いから、やはり「英語」を研究するよりも「英文学」を研究したいと思い、政府にそのように願い出て、文学を研究するために留学することにします。漱石がイギリスの大学に行った時、英国文学の概要というか基礎知識のような講義しか受けることが出来ず、漱石はこれでは英文学がいったいどういうものかさっぱり判らないと思い、イギリスの下宿に閉じこもり、自分で独学することにしました。




結局、長年活躍する人というのは、どうも独学という部分でかなり熱心にやって居るなあと思います。たとえば現代哲学者で有名な方も、もともとは大学で哲学を専攻していなかった人で、ある日図書館で一冊の哲学書を手にして、これはなんて魅力的な本なんだと感心し、それを熱心に読み始めた。哲学を学んだのはほとんど独学によるものだった、と回想録に書いています。それから脚本家の新藤兼人監督は、永井荷風の「墨東綺譚」を映画化するにあたり、荷風の日記である断腸亭日乗を隅々まで6回読んでストーリーを練り込んでいったと述べています。繰り返し繰り返し読んで、内容を消化してゆく。独学の意欲がすっごい大切なんだなと感じました。




他にも若手の思想家が、大学で学生達に現代思想を教えながらこんなことを言っていました。「大学で哲学を教える事なんて不可能で、哲学というのは自分でやりたい奴しか学べない」そうなのです。他にも「学校の哲学科で教えているのは、哲学の歴史と体系を教える、哲学学や哲学の歴史の教育であって、哲学する方法はほとんどまったく教えられないんだ」と書いている哲学者も居ます。哲学者も創作家も、独学をしてそれを職業にしているように思います。




漱石は漱石で、小説の書き方を学校で教わったことはないんです。教わったのは英語。英語をやっているうちに、新しい日本の小説というのはどういうもんだろうかと考えはじめた。しいて言うと、人づきあいを通して少しずつ小説の世界に近づいていったという感じだと思います。



道楽と職業 夏目漱石

  • 2011.11.03 Thursday
  • 20:05


今日は夏目漱石の『道楽と職業』という講演録を紹介します。夏目漱石には、代表的な講演録が3つほどあります。『私の個人主義』と『現代日本の開化』と『道楽と職業』です。夏目漱石が学生さんや一般の方々にちょっとした授業をしたような雰囲気の講演録です。これからこの3つの講演を1つづつ紹介してゆく予定です。




夏目漱石の小説をまずはじめに楽しみたいのなら『坊っちゃん』や『三四郎』がお薦めです。『草枕』なども明かりの本で読めますよ。『道楽と職業』は1911年の明治四十四年に行われた講演の記録です。明治四十四年というと、文明開化を遂げてナショナリズムが高揚し戦争へと向かってゆく時代です。「満州」というのが三十五年後にどのように捉えられるか判らない時代のことです。三十五年後の未来が、誰にも判らなかったんですが、漱石はそういった未来を見据えて、各個人がどういうことを尊重して生きてゆくべきかを指南しています。




帝国主義へと向かってゆく時代には、夏目漱石の親友である正岡子規も志願して従軍記者となり満州へ赴いたりしていますし、森鴎外も軍国主義です。多くの文化人が、イギリスの植民地主義を真似て強国を目指していました。私たちは1945年のことを纔かに知っていますが、2045年のことはほとんど全く想像できないですよね。ですが、漱石は35年後のおおよその世界を想像できていたのではないかと思います。漱石が現代に生きていたら、現代社会をどう読み解き、私たちに何を教えるだろうか、ということを想像しながら読んでゆくと、いろいろと思索できるのではないでしょうか。漱石の思想は、時代を超えて私たちに学問と日常の大切さを伝えているように思います。




僕は「仕事がない」と思っている人間ですが、同じように「仕事がないかも」と思っている学生さんには具体的に楽しめる話だと思います。漱石は『素晴らしい大組織』の話しをするよりも、私たちのじつに身近な話のほうにこそ哲学性や学問性が含まれていると諮詢しています。実際にこの講演録を読んでゆくと、授業と言うよりもなんだか落語を聞いたような気分になりますね。





http://akarinohon.com/center/dorakutoshokugyou.html (約60頁)

三四郎 夏目漱石

  • 2011.10.24 Monday
  • 11:07

今日は夏目漱石の三四郎を公開します。
前回紹介したのですが、どんな本なのかをまったく記していなかったので、改めて紹介し直してみようと思います。




これは夏目漱石の、かなり代表的な小説です。漱石の教養小説の中ではいちばん念入りに書かれていて、読みものとしてもっとも面白い本だと思います。今、学生さんをやっている人には、なによりも一番お薦めできる小説だと思います。ちょうどそういう状況に当てはまる、というかたは、ぜひ読んでみてください。おそらく漱石の文章は、どのような講義よりも魅力的な内容であると思います。『明かりの本』でも全文読めますし、本屋で買ってみるのも良いと思いますし、図書館で借りて読んでみるという方法もありますよ。とにかく今学生をやっていて、なにか教養というもんに触れてみたいという願望がある方はぜひともこれを読んでみてください。これはあなたのことが書いてある小説です。漱石が、未来の学生さんのために書いた、まさにあなたのための小説です。




漱石をこれから読み込んでみたいというのなら、この『三四郎』を読むのが一番良いと思います。なんといっても、これは単純に面白いです。『学生時代に悩んでいる』ということそのものが小説の中心になっています。学生時代は、あと何年か経てば社会に繋がってゆくわけですが、ほんとにどのように社会に出られるのか判らない、という気持ちで居る学生さんが何割かいると思います。そういう方にとってバイブルと言っていいような内容になっています。




明治時代の学生というのは、将来どんな仕事が出来るのかさっぱり判らない時代だったんですね。学問を身につけても、社会からの需要がまだ無い時代ですから。学んでいるのに社会と繋がる方法が無い、ということが一つの大きな問題だったわけです。そういう時代の学生の悩みがみごとに描かれています。ですから2011年という今、この『三四郎』というのはいよいよ本質的に「ためになる小説」だと言えると思います。




この物語は夏目漱石が、自身の体験をふまえてかなり嘘偽りなく、学問をやる若者と社会との関係において起きる問題を克明にとらえていった小説です。大げさなことを言うようですが、たとえば学生をやっていてですね、「どうもちがうんだ」と思っている人がですよ。漱石の文学世界に深入りしてゆくのか、それとも別の組織に深入りしてゆくのかで未来が大きく異なってくると思うのです。

このままてきとうにやってゆけば問題ないだろうという生まれつき幸せな人はそもそも教養を身につける必然性があまりないとは思います。しかしそうでなしに何らかの問題を抱えているので、自分はしっかりと教養を身につけて社会で独り立ちしてゆく力をつけねばならないと考えている人は、この漱石の三四郎が大きな意味を持ってくると思います。ある程度知性のある方は、例えばなにか犯罪に手を染めてしまった場合などに引き起こす問題の度合いが強くなってしまいますから、そういう賢い人は師となる先生が必要である、というようなことを過去の偉人が述べていましたが、偶然身近に尊敬している先生が居ないという方は、ぜひ夏目漱石に私淑してみてください。




この三四郎という物語には、迷子(ストレイシープ)というのが一つのキーワードになっています。この言葉を注意深く見詰めてください。ストレイシープというのは新約聖書ルカによる福音書・第15章に登場する『いなくなった羊を見つけた喜び』のことなのですが、漱石にとってのストレイシープはなにを意味するのか、物語を読み進めながら探ってみてください。第五章と最終章で、三四郎と美禰子の会話で登場します。漱石はおそらく、美禰子や三四郎のようにどこかこの先の未来へとうまく繋がってゆけない人のことをこう呼んだように思います。漱石はストレイシープとなりかねない人に語りかけているようです。




読んでみれば判るのですが、これが江戸時代のちょっとあとに書かれたものとはとても思えないような現代性があります。ちょっとあらすじを紹介しておきます。おおまかなあらすじを知っておいたほうが読み進めやすい、というかたは読んでみてください。本文を読む前にあらすじを知りたくないというかたは、こちらのリンクから本文をお読みください



主人公である三四郎は一人で上京するために汽車に乗っています。そこで異性にであう。なかなか好感の持てる九州出身の人物です。その異性から話しかけられて、三四郎は戸惑います。そのすてきな異性が「一人旅で心細いので、一緒に宿屋に泊まりませんか?」と話しかけてくる。主人公は純情なものですから、断ることも出来ず、しかし異性を口説いて恋仲になるような勇気も持っていない。「ああ自分に当てはまるな」と思ったあなたは、ぜひ本文を読んでみてください。それから三四郎は都会の立派な学校で学び始めます。生まれて初めての体験ですから、その学問というものにものすごいあこがれがあるわけです。学校に入り立ての頃のことを思い出してみてください。たしかに自分に当てはまると思うのではないでしょうか。




三四郎は田舎から東京へ出てきます。そして都会の大きさに喜びと不安を感じます。充実した日常なんですが、どこか昔よりもいっそうさびしさや孤独を感じる。その不安をふりはらうために、大学で熱心に学ぶのですが、「なんだかどうもちがう」と感じる。学問に身が入らない。どうにも物足りない。


そうして佐々木という青年が、三四郎におもしろい指摘をするわけです。
「君はずいぶんまじめに講義を聞いているようだな」
三四郎は答えます。「うん、一週間に約四十時間ほどになる。しかしこれが物足りないんだ」
佐々木は言います。
「馬鹿々々。下宿屋のまずい飯を一日十回食ったら物足りるようになるか考えてみろ」
 大学の授業が、まるで「まずい飯」のようなもんだとたとえる、生意気な生徒さんなわけです。

それで佐々木は、三四郎に都会の遊び方を教えるんです。
三四郎を満足させた佐々木は
「これから先は図書館でなくっちゃ物足りない」
と告げる。
三四郎は、それで授業を半分に減らして空いた時間に図書館へ行くことにします。
漱石は物語の中で「明治の思想は西洋の歴史に現れた三〇〇年の活動を四十年で繰り返している」と記します。漱石は自分が今置かれている立場を客観視させてくれます。初期や中期の漱石は物語に教養を含めてゆくと言うことにかなり熱心であったように思います。実際、漱石には多くの弟子たちがいて後進を育てています。




三四郎の登場人物には、どこか抜けているのに鋭い指摘をする人々が多く登場します。この物語は、なかなか滋養に満ちたことを言う人たちが多くて面白いんですよ。
広田先生というのがいちばんするどい指摘をする人かもしれません。




それから、漱石の話は哲学的な考察が鮮やかに書き記されているのも特徴です。
夜にですよ。病に罹った妹のために急に家を空けることになった知人の家に、たった一人で取り残される三四郎。それが真夜中になって、見知らぬ竹藪の奥底から、怖ろしいうめき声を聞くんです。それから闇夜の中を這うように歩いて、その声がしたところへ向かう。続きは本文を読んでいただきたいのですが、その夜の恐ろしさと、まったく同じことがらを、知人が「昼に」体験したがるんですね。まったく同じ事件であるのに、暗闇の中に一人立っている人のみたものと、昼にその話しを聞いた男とで、印象がまったく異なる。





http://akarinohon.com/center/sanshiro.html (ページ数約600枚)


吾輩は猫である 第一章 夏目漱石

  • 2011.09.25 Sunday
  • 10:34


今日は夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』の第一章だけを紹介してみたいと思います。
当時、これがすっごく売れたんです。「おもしろい」という理由で。それで第一章だけ読んでみるとかえってその面白さがよく判るんじゃないかと思って、第一章だけを切り取ってみました。『吾輩は猫である』の第一章だけを読んでみてください。ほんの50枚程度の掌編です。これが当時の、そのとおりの読まれ方だったようです。




この小説はあまりにも人気が出すぎたので、この第一章のあと、蛇足に次ぐ蛇足で物語を付け足して、途中から小説そっちのけで漱石自身が文明批判をしはじめるような部分も多く、書いた張本人である漱石自身が、あれはちょっと全体として小説にならなかったな、と言っているような、奇妙な長編になるのです。ですから『吾輩は猫である』というのはかなり漱石マニアになるまでは、全文読まないほうが良いんじゃないかというような冗長さなんです。



これから漱石を読んでみようという人は、まずは夏目漱石の『坊っちゃん』から読むことをお薦めします。ちょっと長いですから、ブラウザで読むよりも本屋で『坊っちゃん』を買っちゃったほうが良いんじゃないでしょうか。『坊っちゃん』という小説は、吉本隆明さんの『夏目漱石を読む』(筑摩書房)によれば日本文学史上随一の悪童小説なんです。読んでみれば判りますが、とにかくケンカケンカに明け暮れて、変な妄想とやたらな正義感に突き動かされて、とんでもない悪さをする男の奮闘が描かれています。








高浜虚子著『鶏頭』序 夏目漱石

  • 2011.08.29 Monday
  • 17:59
今日は夏目漱石が高浜虚子の小説の序文を書いた、余裕派に関する短い評論文を紹介します。僕は最近、夏目漱石の小説を幾つか読んでいったんですが、なんだか夏目漱石の小説よりも夏目漱石本人そのもののほうに興味がうつってしまい、漱石ってどうしてあんなに懸命に小説を書いたのか? とか、漱石はなんのために小説を書いたのか? とか、漱石はどういうものを書きたかったのか、とか漱石の教育論ってなんなんだろうとか、漱石は肉親や正岡子規の死をどのように感じていたんだろうか、とか漱石本人のことのほうが知りたくなってしまいました。




漱石は処女小説の『吾輩は猫である』を書き始める直前には、ロンドン留学で差別と引きこもり生活を体験して散々な目にあって意気消沈しており、無二の親友であった正岡子規とも死に別れて、夫婦仲も悪く、子供も憎らしい、という状態だったようです。それで、正岡子規の弟子だった高浜虚子に「山会」に「なにかちょっと文章を書いてくれませんか?」と言われたときに、漱石は猛然と小説を書き始めたのでした。 「山会」というのは、正岡子規が立ち上げた朗読会で、ここで何かを発表するということは、そのまま雑誌「ほととぎす」に掲載されるということだったようです。漱石は、正岡子規との日々が懐かしくて小説を書き始めたんじゃないかと思えてなりません。




漱石が生まれて初めて小説を書き終えたとき、なにをしたかご存知ですか? 子規の弟子だった高浜虚子に「吾輩は猫である」という原稿を手渡して「ちょっと今ここで読んでみてくれ」と言って自分の小説の朗読をやらせて、自分の書いた物語を聞きながら大笑いしていたそうです。よほど創作で気分が晴れたんでしょう。




僕は小説を読んでいると気が散ってしまうんですが、自伝や評論やノンフィクションを読んでいると集中して読めるという、少し奇妙な傾向があります。おそらく、芸よりも人の肉声を聞きたいからなんだと思います。芸を見るのならば美術や映画のほうが実感しやすいですし、癒しを求めるのなら音楽のほうがすんなりとよく入ってくる。ものを考えるのなら評論やルポルタージュや哲学書のほうがより深く判る。じゃあ小説ってなんのためにあるのか、というのがどうもよく判らないんです。ぼくは小説に対する拒否感というか苦手意識というのは昔からけっこう強くあるので、あんまり小説に入り込めない。あまり小説に親しめない人にとって、小説の専門家である夏目漱石の小説論は、文学への理解力を深める良い評論になっていると思います。短い評論なのでぜひ読んでみてください。




漱石は、対立する二つのもののうちの片方を否定するのではなく、二つのもののそれぞれの価値がどのように存在し、両者の特性を考察しながら、それらをどう超克しうるのかを説いています。




夏目漱石って、顔も男前ですけど、考え方がかっこいいんですよね。人の心に触れる小説というものを認めながら、触れない小説(不断着の小説)というものの必要性を説く。夏目漱石は人情を否定していないのにクールで冷静な態度を前面に押し出しているんです。人情や生活を粉みじんに破壊する新自由主義者とかとは全く違う魅力があります。漱石は英国文化を交えながら新しい日本の思想を練り上げていった人ですから、中身が男前。






http://akarinohon.com/basic/takahamakyosi_jo_natumesouseki.html (ページ数 約25枚)




 

こころ 夏目漱石

  • 2011.08.21 Sunday
  • 03:46


今日は夏目漱石の『こころ』を紹介します。
この小説は夏目漱石の代表作とされる小説です。以下のURLから全文お読みいただけます。一度読んだことのある方も、ぜひこの機会にふたたび夏目漱石の『こころ』を読んでみてください。若いころに読んだ『こころ』とはまた異なる魅力を発見できるかと思います。





僕はこの小説をやはり、漱石自身である『先生』と、読者である『私』と、そして漱石の若き日の親友であった『K』と、文学そのものをあらわす『静』とが織り成す追憶の物語のように読んでゆきました。

静(お嬢さん)というのがヒロインとしてこの物語に登場します。追憶では、このお嬢さんが素晴らしい美少女として登場しています。誰にでもそういう若き日の恋の相手はいるわけで、そのお嬢さんに恋をして、結婚がしたいと。「先生」は親友「K」と、このお嬢さんを奪い合うことになってしまうわけです。そういう話の大筋があります。今なら普通かも知れませんが、明治時代は自由恋愛というのがまだ主流では無かったですから、恋というのは今よりもっと静かで淫靡で革命的なものだったのかも知れません。この話の「先生」というのはなんというか男前なんです。かっこいい。それで「先生」と言って慕ってくる青年に少しずつものを教えてゆく。自分の経験を元に、こういう失敗はしないように、という気持ちで、「先生」は「私」に心を開いてゆく。




現代でも、「先生」と言えるような尊敬されている人が、子にものを教えてゆくように、なにかを伝えることがありますよね。私たちは尊敬できる人からそういう話しを聞いておきたいと思う。戦争の実際を経験していない人にその苦しみを伝える人がいる。連合赤軍の時代を知らない若い人に、あの時は、こういうように失敗が積み重ねられていったんだ、と大人が告げている。阪神淡路大震災を知らない時代の人へ、あの時はこうだったんだ、こういうことが大切だったんだ、と告げたいと思う。そういうように、漱石は若い人へ向けて、ある挫折についてを教えようとする。

それで「先生」はこう言うわけです。

「君は恋をした事がありますか」 
 私はないと答えた。
 「恋をしたくはありませんか」 
  私は答えなかった。
 「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」
「そんな風に聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。
 しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」
  私は急に驚かされた。




「こころ」の登場人物である「K」のモデルは、一般に石川 啄木か幸徳 秋水であろうと言われています。ぼくはきっと正岡子規が「K」で、正岡子規と「文学」という恋人「静」を奪い合ったんだろうなあと思い込んでいました。今でもそう思ってるんですが。はじめは正岡子規が文学に愛された。正岡子規は「ほととぎす」を創刊して文学と親密になり、俳人として世に名を馳せてゆく。その時夏目漱石はただ英文学を研究しているだけだった。正岡子規が長い闘病生活の末亡くなり、漱石はそれで俺は小説を書こう、と思い立つ。漱石は正岡子規に導かれるように「ほととぎす」に「吾輩は猫である」という小説を発表し、文学者になっていった。漱石はいつのまにか、ずっと背中を追っていたはずの親友を追い越して歴史的文学という世界に進んでいた。ただ、ちゃんと調べてゆくと、Kの実家は寺で、石川 啄木も実家が寺なんだし、どっちかといえばやはり啄木がモデルのようです。




漱石は自身の手記で『坊っちゃん』の登場人物のモデルは誰なんだい、と聞かれて「モデルは居ません。想像で作りあげた人なんです」と説明しています。小説は架空の物語ですし、特に漱石は私小説やノンフィクションの方法のようには人物を登場させないし、架空の要素が多いほど物語としてより優れた設計であると考えていた作家なので、まったくモデルが居ないまま箱庭を作っていったというのが正解のようですが、それでもやっぱり作者の実体験を完全に離れて書けないんじゃないかと思います。明治時代に英国文学を研究していた男が紫式部のような物語を書く、というような飛躍はとうていできないわけで、どこかが実体験に基づいて居るんじゃないかと思えるわけです。物語を読むと同時に、作者の静かな告白も一緒に読んでゆきたい、と思う僕にとって夏目漱石は現実の多様な逸話にあふれていて、汲んでも汲んでも尽きることのない一つの水脈のように大きな存在です。




漱石は自身の手記で、小説には「触れる」小説と「触れない」小説というのがある、と述べています。触れる小説というのは、言ってみれば泣ける小説です。【お涙頂戴=優れた物語】では無い、ってことは誰でも実感したことがあると思います。ほんとに気持ち悪くなっちゃう恐怖小説なんて誰も読みたくないですし、触れる小説というのはやっぱり限界があるんだと。
それで英国文学を研究し尽くして、独自の日本文学を創りあげた漱石は、平易に淡々と客観的な視座に立って書いてゆく、触れない小説の魅力を説いています。





http://akarinohon.com/center/kokoro.html (ページ数 約700枚)


夢十夜 夏目漱石

  • 2011.08.07 Sunday
  • 02:11


今日は夏目漱石の【夢十夜】を紹介します。


夏目漱石は、学生の頃に親友になった正岡子規(や高浜虚子など)の導きによって文学者になっていったようです。それは一番はじめに書いた「吾輩は猫である」という小説の序文に記されています。漱石の親友だった子規は、いわゆる知的なガキ大将で親分肌でした。子規は主戦主義だったし戦争がはじまると志願して従軍記者になって、戦地に赴きそこで体を完全に壊してしまった。漱石はそれとずいぶん違っていて兵役から逃れるために北海道とかに籍を置き、とにかく「お上」というやつがやることが幼い頃から全く信用できなかったようで、逃げに逃げまくっています。可能な限り逃げ続けたんじゃないかと思えます。逃げると言うことは、その問題の本質がよく判っていると言うことですよ。よく判っていない時ほど逃げずに正面から突っ込んでゆきます。それで漱石は戦争から逃げますし、親友である正岡子規の病と死からも逃げに逃げて一万数千キロを海や陸を渡り続けてイギリスにやってきます。英語はわかるんだけど、当時東洋人差別の激しかった英国文化は判りようがない。それで「事情が全く違うんだから、よそさまのことを中心にして考えてはいられない」という結論を出して、自己を中心にして社会とまっとうに関わろうと決めるんです。自己本位です。




「自己中心的」というのは現代ではよく否定的に言われますが、それは己を中心にして人と人との関係性を意識的に悪化させちゃおうという思考なんですが、漱石は自分が発案者になって社会との関わりの仕組みを作っていってやろうというタイプです。




漱石はイギリスで自室に籠もりきりになって、文部省がやらせようとした「英語けんきゅう留学」とはぜんぜんちがうことをやってるんです。授業にも行かずに自室で文学を独学したりしていた。あと、漱石はイギリスの切手とか絵本とか小物が好きだったようです。当時の日本ではほとんど無かった自転車にのったりして、「自転車すげえー」とか一人で言ってた。自己本位です。




それでそのイギリス留学中に、漱石は病床の子規から手紙を受けとるんです。「僕はもー駄目になってしまった」と記された、正岡子規からの最期の手紙です。その手紙を受けとって、どうやって伝えたいことが書けるかというと書けません。書けない。書けないので、いっけんなんでもないような軽い手紙を書いて送った。そうしてあとからそのことについて考えていった。僕の解釈では、夏目漱石はここを原点にして誕生しているように思えます。コミュニケーション不能な事態をなんとかして表現しうる方法というのを、独自の文学観を用いて創っていった。正岡子規の死や仲間や親類の死を見送れなかった漱石の心情が、物語に昇華されていってるんじゃないかと。




この夢十夜は、初期のひょうげの物語から、中期後期の生老病死を見つめる文学へと連なってゆく、ちょうどその境目の魅力があると思います。





http://akarinohon.com/basic/yume_juya.html (総ベージ数約80枚)

三四郎 夏目漱石

  • 2011.07.27 Wednesday
  • 13:00


今日は夏目漱石の【三四郎】を紹介します。
夏目漱石の代表作といわれる長編小説です。
海外で言えば、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」のように、若者の悩みそのものを描き出そうとした歴史的名作です。地に足のつかない青年が、ついに地面をよろよろと歩く、というような物語です。





http://akarinohon.com/basic/sanshiro.html (ページ数 約600枚)

子規の画 夏目漱石

  • 2011.06.15 Wednesday
  • 19:21

今日は夏目漱石の手記、『子規の画』を紹介します。
漱石が正岡子規のことを書いている、短い随筆です。




夏目漱石のことを調べてみると、漱石はやっぱり学生時代の正岡子規との交流がいちばん楽しかったようです。正岡子規が居なかったら、そもそも夏目漱石は誕生していないわけで、「漱石」という名前はもともとは正岡子規が使おうとしていた作家名で、夏目漱石がその名前を子規からもらうことにした。「漱石」という名前の由来は「石に枕し流れに漱ぐ」という無為自然の暮らしのことを表現した「枕石漱流」から来ています。それをある人が「漱石枕流」と言ってしまって、それじゃあ「流れに枕して、石で顔を洗う」になっちゃうじゃないかと指摘された時に、意地をはって「いや漱石で良いんだ! 漱石のほうがぜんぜん良い!」と負け惜しみを言い続けたという古事(珍事?)から来ている名前です。




正岡子規が亡くなってしまった後に、夏目金之助は、夏目漱石として作家の道を歩む決意をしたわけなんです。僕にはそういう人生が変わるような親友というのはまったく居ないですから、ただただ憧れます。というか、そういうれっきとした付き合いが出来る人のほうが珍しく貴重な存在なんだと思います。




子規が作っておいた道のりを辿って、漱石は小説家になった。やっぱり漱石は、子規がほんとうにやりたかったことを、自らで体現して見せようとしたんじゃないかなと思うんです。夏目漱石のユーモアというのは、寄席の世界観だと思うんです。その寄席には若い頃の正岡子規と一緒に通っています。漱石がユーモア小説を書くのはそのへんの楽しい記憶が深く関わっていそうです。




漱石が正岡子規との十年前の記憶について書いているこの文章は、とても淡々としていて、けれども冷徹ではない、という落ち着いたものです。
漱石はこの随筆で、正岡子規の文学はなににつけ「巧」であって「たくみだった」と述べています。もっと「拙」で「へたで良いから、のびのびと」していてほしかったなあ、と書いています。





夏目漱石 坊っちゃん

  • 2011.06.10 Friday
  • 17:10



今日は夏目漱石の《坊っちゃん》を紹介します。



僕はなんでもかんでも世間と反対のことをしないと気が済まないたちなので、日本の名作と呼ばれるものはとにかく読まないでおこう、と思っていて子どもの頃は哲学書とかアウトロー小説とかを読みふけっていました。ウィトゲンシュタインの論理哲学論考における「論理は語りえない。それは示されるのみである」とか「論理はアプリオリである」とはいったいなんぞや、というようなことに興味津々で、いわゆる伝統的な文学にはまったく目がゆきませんでした。似たような理由で、夏目漱石の小説、読み終えたこと無いよ、という人けっこう居ると思うんです。




夏目漱石の《坊っちゃん》というと、即座に松山での正岡子規との交流を思い浮かべます。漱石は横の繋がり(同世代の絆)に希望を持っていて、縦の繋がり(親子関係)が壊れていることを常に意識していたように感じます。漱石は両親との折り合いが非常に悪く、たとえば《道草》という小説ではまるで自伝のような書き方でこんなことを書いて居るんです。

実家の父に取っての健三は、小さな一個の邪魔物であった。何しにこんな出来損いが舞い込んで来たかという顔付をした父は、殆んど子としての待遇を彼に与えなかった。

健三というのが漱石のように表現されているわけです。
漱石の父・直克は江戸時代末期の旧秩序型の権力者です。
かたや夏目漱石は新しい文化に希望を抱いて英語に興味を持ち、世界を視野に入れてイギリス文学や漢文学のことを考えていた。
父と子で、まったくの別ものなんです。




漱石は生まれてすぐに四谷の古道具屋に里子に出され、予防接種の種痘を受け、それが原因で天然痘(疱瘡)にかかって、かゆいかゆいと全身を掻きむしって煩悶した。当時は天然痘が世界中で問題となっていて、予防接種の種痘がさかんに開発されていた。当時それは大問題だったわけです。その頃に出来たあばたは大人になっても消えず、漱石はそのきずあとが不愉快でたまらなかった。写真を撮る時はそれを修正させたりしたそうです。




それで漱石は親たちの作りあげている社会に強い不信感を感じつづけていた。そういった不信感というものがあるからこそ、新しい世代への強い信頼と絆が生じるわけです。例えばカナダ人音楽家のグールドは漱石の草枕を絶賛していて「この世には聖書と草枕さえあれば良い」とさえ言わしめているわけです。そういった漱石の横の繋がりに於ける強さというものは、多くの同世代に今も共感を与え続けています。




よく小学校で推薦図書としてこの本があげられています。それでついうっかり、これは小学生の読みものだと思い込んでしまうかもしれません。けどこの文章って中高生くらいの教養がないと読めない気はします。




漱石は親友の正岡子規に導かれるようにして小説家となりました。
たとえば漱石がこの《ぼっちゃん》を書き記した年齢になってからこれを読んでみると、自分の境遇と照らしあわせて、もっとずっと味わい深く読めると思います。あるいは夏目漱石が正岡子規との思い出をどのように大切にしていたのかを想像しながら読むと、まるで異なる小説として読めるのではないでしょうか。






http://akarinohon.com/basic/bocchan.html
総ページ数 約300枚


夏目漱石 草枕

  • 2011.05.11 Wednesday
  • 00:03


夏目漱石の草枕を公開しました。
ブラウザ上で全文お読みいただけます。
ぼくは、グレン・グールドというピアニストが好きです。今もitunesで聴いてる最中です。
知らない方は、こちらで試聴できます。ちょっと聴いてみてください。


グールドは、けっこう奇行の多い天才肌のピアニストだったようで、ピアニストの収入源というか義務みたいなもんであるコンサートは「きらい」ということでやめてしまうし、それでいて音楽以外の活動は積極的にやるし、ふつうのバッハとはぜんぜん違うバッハを演奏するし、演奏中に鼻歌を歌うし、当時のクラシック界にしては非常に珍しく電子音楽とかに興味があり、テープレコーダーのテープを切り貼りして繋ぎ合わせて、世界初?のテクノ方式のピアノ録音を執り行いました。


そのグールドが愛読したのが「聖書」と夏目漱石の「草枕」のたった2冊だったそうです。夏目漱石、すごいですねえ。50年後のカナダ人に愛読されるとはさすがに想像していなかったと思います。グールドにとってはこの「草枕」が世界でいちばんの小説だったわけです。いったい誰が英語に翻訳したんでしょうか。


夏目漱石は宮沢 賢治などとくらべると都会的な人だと思いますが、この小説は風景描写が美しいです。


300ページの長編です。けっこう長い小説なので、一気読みはできないと思います。じっくり読んだら良いんじゃないですか。






夏目漱石 私の個人主義

  • 2011.04.24 Sunday
  • 14:28
夏目漱石の、《私の個人主義》を掲載しました。
ブラウザ上で全文およみいただけます。 (約50ページ)


僕はこの講演録をむかし本屋で立ち読みして、なんだか妙に感銘を受けました。むずかしいことをわかりやすく、またおもしろく述べています。夏目漱石ってじつはひょうひょうとした知識人だったんだなあと、目から鱗が落ちた気分でした。はじめて書いた小説が、ネコを主人公にしたものなんだから当たり前かもしれませんが。もっと堅苦しいことを考えている人なのかと思っていました。
夏目漱石はこの講演で、他人の自由を重んじ、義務をともなう個人主義について丁寧に説いています。




以下は夏目漱石の記した言葉です。






私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。




ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。


必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。







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