阿Q正伝 魯迅

  • 2011.07.30 Saturday
  • 16:20

今日は魯迅の阿Q正伝を紹介します。これは中国の作家である魯迅が1921年に書いた代表作です。まずはあらすじを紹介してみます。あらすじを読む前に作品を読みたいかたは、作品へのリンクURLから本文をお読みください。

魯迅 阿Q正伝




それでは、阿Q正伝のあらすじをwikipediaなどから引用してみます。

阿Q正伝は,日雇農夫阿Qの性格とその生涯をユーモラスに描く中に,中国民衆の精神のゆがみ,彼らを悲劇に追いやるもの,辛亥(しんがい)革命の実体等への批判を盛りこんだもの。中国現代文学の代表作の一つ。
(百科事典マイペディア)

時代が清から中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期、中国のある小さな村に、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする本名すらはっきりしない日雇いの阿Qという男がいた。彼は金も家もなく、女性にも縁がなく、字も読めず、容姿も不細工という村では最下層の存在で、村の閑人たちから馬鹿にされている立場であった。だが阿Qは非常にプライドが高く、「精神勝利法」と呼ばれる独自の思考法を持っており、どんなに罵られようが、日雇い仲間と喧嘩して負けようが、結果を都合の良いように取り替え心の中では自分の勝利としていた。ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買い、村民からまったく相手にされなくなる。彼は食うに困り、盗みを働き、村から逃亡同然の生活を続ける中で、革命党が近くの町にやってきた事を耳にし「革命」に便乗して意味もわからぬまま騒ぐが、逆に革命派の趙家略奪に加担したと無実の疑いをかけられて逮捕され、弁明すらできず哀れ銃殺されてしまう。
(wikipedia)




僕は文学がなぜ必要とされるのかが判らないと思うことがよくあります。楽しんで読む小説は、書きたいから書いて読みたいから読むわけで音楽のように人の心を潤すわけでその存在意義は疑いようがないのですが、難解な文学の存在意義がどうしてもよく判らない、と思うのです。たとえばなにか問題があって、手掛かりが欲しい、ものを考えたい、という場合には古典的な思想書を読むべきだと思います。どうしても自らものを考えてしまう人にとって古典的な思想書は、誤ったものの考えを丁寧に解きほぐし、日常を取り戻すための大切な梯子となります。




人によっては読む必要のないものですが、老荘思想を学んだりとか、般若心経や歎異抄を学ぶ、あるいはカントやソクラテスなどの古典的書物に学ぶことによって己の抱えている独自の問題を乗り越える手掛かりが見つかります。現代では、判りやすく平易な現代語訳でこれらの思想を学んでゆくための良書が数多く出版されていますから、異様な知性が無くとも、誰でも古典思想を学ぶことができます。「思想が人を殺す」というのはよく言われることです。ファシズムという暴力と差別を肯定する思想が多くの市民を殺し、共産主義という思想が別の主義を持つ市民を粛正し、資本主義という思想が利権や石油を巡って内戦や戦争や大事故を引き起こす。思想がきっかけとなって、人が死ぬことは偽りがたい事実です。




古典的書物がどうして必要とされているかというと、そういった「思想そのもの」がもたらす恐るべき不和と殺人に引きずり込まれないようになるため、もっとも長生きした思想をあらかじめ学んでおき、新しい思想に対応できるようになるからだと思います。長生きした書物に親しんでいれば、危機を乗り越える力がつきます。十九歳で連続銃殺事件を起こした永山則夫という青年が、死刑囚となりもう死ぬよりほか道はないという状況で、その危機を乗り越えるきっかけとなったのは、古典的な思想書(カントやマルクスなど)と詩でした。もし仮に、永山則夫に書物もノートも手渡されなかったら、彼は獄中で狂い死にしているか無感覚になったまま死の日を迎えただけであることは想像にかたくない。文学が果たす役割というものは、僕が理解した範囲では、「思想」では満たされなかった孤独にどこまでも付きそおうとする創作者のまなざしと声とが、一般的な市民とはかけ離れてしまったある人物にただ同伴し、その孤独の意義を知らせていることにあるのだと思います。




ただ残酷なだけにすぎない話と、歴史に残る文学との違いは、過酷な状況に置かれた人物にたいするまなざしが、不断でありつづけるほど真摯であるかによるのだと思います。魯迅にそういった真摯なまなざしがあったことは彼がこの小説を書いたきっかけを辿ってみても明らかです。魯迅は異文化である日本で同胞の死を描写した幻像をまのあたりにし、その死に対する周囲の無感覚に強い衝撃を受けて物語を紡ぎはじめます。トラウマの神話的表現であるとも言われるブリューゲルの描いた「落ちるイカロスのいる風景」という絵画をご存じでしょうか。




この絵画は、とても不思議な構図の絵で、ギリシャ神話のイカロスを描いているのですが、その中心にあるのは牧歌的な生活の風景です。翼で自由に空を羽ばたいていたイカロス。父親の警告を忘れ太陽に近づきすぎて翼が溶け、海に落ちたイカロスの絵であるのに、そのイカロスの姿が見あたらない。しかし、ぜんたいを注意深く見つめていると大きな帆船のすぐ下あたりに、溺れ苦しんでいるイカロスが確かにいるのです。私たちはイカロスを知らずにいるので、普段通りに暮らしています。イカロスのショックは、この日常と異常事態との大きな落差にあります。私たちは魯迅の物語を通して過酷な挫折のほんの一部分を共感し、その落差を少しずつ緩和しようと試みます。文学のもたらす価値は、異常事態から平生の暮らしへの架け橋として機能しうるからこそ生じているのだと思えてなりません。





http://akarinohon.com/basic/akyuseiden.html (ページ数 約140枚)


魯迅 自序

  • 2011.07.08 Friday
  • 01:00


今日は魯迅の《自序》を公開します。これはほんの十ページほどの自伝ですから、ぜひ最後まで読んでみてください。魯迅、というととにかく苛烈な挫折を丁寧に描き出す作家ですが、これはその魯迅が小説を書く動機、を記したものです。




僕は中国というととにかく老子を思い浮かべるのですが、魯迅の「厳しい状況へのまなざし」はまさに、老子の言う「上善は水の如し」を想起させるものだと思います。もっとも理想的なものは水のようであり、低いところに住まいをかまえ、僕みたいに「老子だあ」とか「ガンジーだあ」とか言って崇高なものごとをただ言葉だけで論じようとしたりはせず、人の嫌がる低い所へ流れていく水のような心の持ち主が本物である、と老子は述べるのですが、魯迅はそういうことを実際に行おうとしていたんじゃないかと思います。




魯迅は老子のように寛容さがあるわけでは無いわけで、魯迅らしい過酷さがあるんですが、なんだか壁の前で途方に暮れている人と共にとにかく嘆きを分かち合おうとしている。それで頭をガツンとなぐられたような、涙で川があふれてしまうような衝撃を読者に与えるんだと思います。




ところで魯迅というのは夏目 漱石を愛読していたそうです。すごいですね、夏目 漱石。中国の文化人も愛読して、カナダのピアニストも愛読する。そんなすごい作家がいたとは、とあらためて驚きます。





魯迅 故郷

  • 2011.05.12 Thursday
  • 07:00
今日は中国の文学者、魯迅の小説《故郷》を公開します。数十ページほどの、ごく短い小説ですのでぜひお読みください。



魯迅は厳しい状況の若者を辛辣に描ききることで有名ですが、今回は魯迅の小説の中でもっとも静けさのあるものを選んでみました。僕は“自然と人”との関係性を描き出している古典が好きです。それはちょうど、近代美術においてどんなものが好きかと問われた時に、やはりなんと言っても風景を見事にとらえた日本画や印象派や山水画が好きである、と答えるのと似た理由です。文学の場合は人を描き出しているわけですが、その人々がどういう自然の中に立って居るのか、というのを感じさせてくれ、その風景を思い起こさせてくれるものが好きです。



この物語は、中国という非常に広大な大地に生きる人々の一つの悲哀を描き出しています。陸地が途方もなく広いですからひとたび故郷を離れると、二度と再会は叶わないかもしれない。しかし生きてしっかりと生計を立てるには遠い地へと赴き、独り立ちしなければならない。故郷を長らく離れていると、もともと仲睦まじかった人々のこともすっかりと忘れてしまいます。ひさかたぶりに再会した幼馴染みの閏土(じゅんど)。閏土はかつては神話的な魅力を持つ少年でした。父から篤い寵愛を受け、閏土は朗らかな魅力を持っていました。閏土は活力のある少年で、キラキラとかがやいていた。しかし、三十年もの時を経て、閏土との再会をはたすと……。



みなさんは中国というと何を思い浮かべるでしょうか。ぼくは「四川のうた」という映画を思い出します。ツタヤでなんとなくこの映画のパッケージを発見し、その写真のじつに丁寧な色合いに魅入られて借りてみて、どうということもないインタビュー映像の数々に、いったいどうしてこんな映像的魅力が潜んでいるのだろうかと興奮しながら観ていました。この映画は、ある工場で働き続ける人々をノンフィクションとフィクションを交えて、静かに描き出してゆきます。とりわけ豊かでもなく、貧しくもない人々の暮らしぶりが描き出されていて、細部まで丁寧に作り込んでいる映画でした。その映画のワンシーンで、使い続けて短くなった鉄ベラが登場するんですが、ある若者がその短くなったヘラを捨てようとすると、一人の老翁が
「それは多くの人の手を伝わってきた。まだ使える」
と言うんです。じつに小さなエピソードを魅力的に描き出していて、新鮮な気持ちにさせてくれる映画です。日本の伝統工芸もそうですが、ごくふつうのモノなのに特別な気持ちにしてくれる工芸品を、長年作りつづけて世界を繋げ続ける人というのに、ぼくはすごく弱いです。そこにハードボイルドな気配とあたたかさを二重に見出して、おおーっと思うわけです。ぼくはそういった映画がなんとも言えず好きになって、中国に行ってみたりしたんです。



たとえばまだ吐く息が白くけぶる早朝の馬小屋があって、馬の力強い吐息が聞こえてくる。
その馬の蹄鉄に釘をカーンカーンと打ち付けて足まわりを調節し、長旅に備える男の、静けさとかっこよさみたいなものがどうしようもなく好きなわけなのです。そういうの、だれか映像化してくれませんか。だれか。






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